五十 1 読みは「イ」

(『諸系譜』より、天津彦根命の後裔、意冨伊我都命)  少しでも古代史に親しんだことのある方なら、古事記などに書かれた文章を読みながら、同じような言葉(単語)が登場人物の氏名などに幾つも異なる時代の場面で屡使われていることに気づかれるはずです。  その多くは数字の「八」や「五」あるいは「五十」といったものや地名、山脈河川などの地方の著…

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消息

同人仲間の数少ない生き残りの一人であるY君は、どうしているのだろう。このブログへの書き込みも、年初以来とだえたままだ。彼も、今年、後期高齢者になっているはずだから、もうお互いに、いつ、どんなことが起きてもおかしくない年齢だ。長い空白に、つい、葉書でも出してみようかと思い、机の上に置きっぱなしの文庫本の表紙裏に挟んだまま、そのまま、ず…

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扶桑 3 始皇帝が求めた神薬

(承前)  ただ、その一方で史記は徐福の言動に関して「秦始皇本紀」の中では、   還りて呉を過ぎ、江乗従り渡り、海上に竝い、北して琅邪に至る。  徐市等、海に入り、神薬を求め、数歳なれども得ず。費え多し。  譴(せめ)られんことを恐れ、乃ち詐りて曰く『蓬莱の薬、得可し。  然れども常に大鮫魚の為に苦しめらる。故に至るを得ざりき。  …

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