武鑑と能役者 3 斎藤家は表通りにあった 2026年02月05日 斎藤与右衛門 斎藤十郎兵衛 八丁堀 地蔵橋 能役者 与力屋敷 拝領地 五人扶持 給金 (承前 『武鑑』には武士の身分を持つ町人も名を連ねています) ところが、それだけの副収入があり、斎藤与右衛門に比べれば遥かに裕福だったはずの流派の当主でも、八丁堀の与力屋敷内などの表地に家屋を構えた様子が見られない(八丁堀屋敷図にも名前が掲載されていない)のは、どう考えれば良いのでしょう。(別の能楽師の家はあります。下の図を参照して… 続きを読むread more
鰕蔵異聞 24 父親が「お松」と再婚 2026年02月04日 市川鰕蔵 四代目松本幸四郎 市川団十郎 お松 再婚 京生まれ 上方 歌舞伎 女形 瀬川菊次郎 瀬川菊之丞 (承前) 蝦蔵との確執、舞台上での大喧嘩などで知られた四代目松本幸四郎は1737年の京都生まれ、上方文化の中で暮らした経験がありました。同じ京坂育ちの初代瀬川菊之丞(1693~1749)の弟子として役者の道に入ったと伝えられていますから、当初は女形を目指していたのかも。 ただ師匠は既に享保十五年には江戸に下っていましたから、幸四郎が… 続きを読むread more
武鑑と能役者 2 家元は屋敷地も拝領 2026年02月04日 鷺仁右衛門 拝領地 屋敷 八丁堀 地蔵橋 長屋 賃貸 能役者 幕府 (承前 能の家元は幕府から屋敷を拝領していました) それは観世座に所属していた狂言師の鷺仁右衛門を名乗る人物で、もともと始祖とされる鷺仁右衛門宗玄(1560~1650)が独自に編み出した猿楽芸の家元なのですが、徳川家康がとても宗玄を気に入り、わざわざ観世座の一員として組み入れ、更には幕府の狂言方筆頭の地位も与えて庇護したことから、… 続きを読むread more