"東洲斎写楽"の記事一覧

大名と岡っ引き 7 御家役者の威徳

(承前 右赤丸が威徳家、左が斎藤与右衛門宅)  この時代の大名が「家」という場合、それは単に蜂須賀家(当主個人)そのものではなく「阿波藩の全て」つまりは「藩」自体を意味していたと考えられるのですが、藩士たち全体に能楽を教えるのではなく、藩主個人のための指南役といった役割を与えられていた御役者だったのかも知れません。  分限帳によれば…

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大名と岡っ引き 6 目明しを否定する幕府

(承前 大江戸八百八町、それぞれに親分がいたのかも)  十八世紀末の江戸には町方だけで五十万人もの人々が暮らしていました。これに対して町奉行所の役人は与力と同心を合わせても三百名にも足らない有様で、其のうえ町人たちの世界、取り分け「裏」社会の実情を捜索の実務者だった同心たちも、殆ど把握できていなかったとも云われています。  そこに非…

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大名と岡っ引き 5 同心たちの私兵

(承前 江戸には「縄張り」を持つ数百人もの岡っ引きが居た)  徳川将軍家お膝元の大江戸で、治安組織の末端を構成していた町方の岡っ引き集団を、全国の各藩大名が蔭で支えていた不思議な構図が浮かび上がります。さて、阿波蜂須賀家では幕臣でもある町奉行所同心や、その配下を構成していた岡っ引きと呼ばれる町人たち多数に扶持米と現金を支給し、藩士たち…

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