"東洲斎写楽"の記事一覧

写楽たちの銭湯 2 正体不明の浮世絵師

(承前 「港」は「いりごみ」と読ませます。混浴のことです) 歌舞伎役者の似顔絵を描いた東洲斎写楽の実像について、版元の蔦屋重三郎は何も語っていません。彼の耕書堂には寛政六年に上方から戻って来た十辺舎一九が居候のような形で勤め、出版に関わる作業を手伝っていたはずなのですが、彼も写楽について他言していません。一九は寛政七年に蔦屋から『心学…

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写楽たちの銭湯 1 異例の抜擢

今からざっと二百三十年ほど昔、寛政六年五月、江戸で出版業を手広く行っていた蔦屋重三郎(1750~1797)は歌舞伎各座の五月夏興行の公演に合わせて東洲斎写楽という画号を持つ浮世絵師の作品を一挙に二十八枚も売り出しました。 当時、大手の出版元から浮世絵版画を刊行する場合には、幾つかの黄表紙などの挿絵を描かせ、その技量や出来栄えを見極…

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蔦屋と斎藤十郎兵衛の接点は?

江戸の浮世絵版画界で多くの役者絵などを描いて少しは人に知られるようになった東洲斎写楽は、さまざまな資料を集め研究した結果、当時、阿波徳島藩の能役者であった斎藤十郎兵衛という人物ではなかったか、という見方が有力視されているのだが、その説には幾つかの「弱点」がある。 その一つが「斎藤には、そもそも絵画に関する技量があったのだろうか」と…

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