"東洲斎写楽"の記事一覧

写楽たちの銭湯 5 ドブ湯横丁もあった

(承前 今も昔も造りは同じの脱衣棚。鍵もついています) 八丁堀周辺には奉行所に勤めるお役人の屋敷だけではなく「町地」に区分された所には「町名」も付けられ町人たちも数多く住んでいました。また、二百数十人いた奉行所の同心の殆どが自宅の敷地内に「長屋」を建て、安い家賃で入居できる貸家を営んでいましたから、そこで暮らす町人の数も結構多かったと…

続きを読むread more

写楽たちの銭湯 4 超お得な年間定期

(承前 江戸の後期、湯屋の組合が正式に認められた) 八丁堀に住む奉行所の与力たちは幕府から三百坪近い拝領地を与えられていたので、自分の屋敷内に風呂場を立てていた者もあったようですが、ほとんどの同心たちは内風呂など持っていなかったので、その家族たちも含め銭湯を利用していました。俗に「八丁堀の七不思議」の一つに数えられる当時の噂話が、 …

続きを読むread more

写楽たちの銭湯 3 風呂屋は社交場

(承前 二本差しのお侍さんも一緒に風呂に入ります。裸の付き合い?) 享和二年(1802)になって戯作者の山東京伝は大田南畝の「類考」を前提とした「浮世絵類考追考」を書き上げているのですが、ここでも京伝は写楽などの絵師について独自の情報は付記していません。その代わりと言っては何ですが彼は同じ年『賢愚湊銭湯新話』という読本を出版しています…

続きを読むread more