"東洲斎写楽"の記事一覧

写楽たちの銭湯 8 幽霊横丁発見

(承前 地蔵橋から見て南側の「矢場」横が「ゆうれいヨコ丁」) 江戸も後期になると出版業が大変盛んになり、町方で商いをする人も当然増えます。商業が盛んになり取引が拡大すれば人々の活動する領域そのものも広がり、お江戸で暮らす人たちの間で細かな地域情報を求める要望も多くなったものと思われ、その様な経済化社会を背景にした「地図」「細見図」…

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写楽たちの銭湯 7 江戸の水事情

(承前 今泉同心の自宅から東に進み河岸に抜ける二つの通り) 徳川氏が関東入りをして、精力的に進めた政策が水治事業だったと言います。もともと湿地帯のような所であったため、普通に井戸を掘っても、湧き出す水は海水が混じった劣悪なもので、とても飲料水として仕える様な代物ではなかったと言います。大所帯の家臣団を含め武蔵国全体の「水」を賄うために…

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写楽たちの銭湯 6 誤植に惑わされる

(承前 図は中村静夫氏の編集による物) 原胤昭という人は、もともと佐久間家で生まれており、母親の生家でもある同じ町与力の原家を継ぐため養子に入った経緯があるのですが、上の図で①として示した場所が原家の拝領屋敷ですから、佐久間家の東隣りになります。つまり、前回『江戸文化』第五巻第一号から引用した文章には、   わたしの実家は、佐久間の…

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