"東洲斎写楽"の記事一覧

写楽たちの銭湯 11 髪結床からの推理

(承前 上の画像は中村静夫氏の作成によるもの) 前回紹介した「矢場」近くの湯屋は上の画像の右端にあったもので、中村氏が極めて詳細に編集復元した「嘉永六年」時の組屋敷図にも、「髪結床」の文字が見えています。 斎藤与右衛門たちが暮らしていた八丁堀地蔵橋という場所は、奉行所に勤務している与力、同心たちと町人が混在しながら生活していた江戸で…

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写楽たちの銭湯 10 矢場近くに在った湯屋

(承前 「トコ」に挟まれた蓬莱湯?) やっと確かな資料を見付けました。やはり、これまでの推理は間違っていなかったようです。与力だった原胤昭の回顧録にあった文章を元にして、彼の幼馴染だった今泉君の家を東に進み、矢場(武芸の練習場)に沿った「ゆうれいヨコ丁」を更に東進むと、そこは亀島川の「河岸」に突き当たるのですが、八丁堀にあったと言われ…

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写楽たちの銭湯 9 湯屋の代金五百両

(承前 『守貞謾稿』に記された江戸の銭湯) 大坂生まれの商人で喜田川守貞(本名・庄兵衛)という人が江戸の末期、天保八年(1837)から明治維新にかけて記録した見聞録『守貞謾稿』で紹介された江戸の湯屋の様子を描いたものが上の画像なのですが、一番奥に大きめの井戸があって、その直ぐ手前に男女別の浴槽が並んでいます。旧江戸幕府から維新政府に引…

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