"東洲斎写楽"の記事一覧

武鑑と能役者 4 斎藤家の懐具合は?

(承前 家元は高給取りでした)  八丁堀在住の奉行所同心が、自らの拝領地内に建てた表長屋の、二階建て延べ床面積八坪[16畳]の貸家になると一カ月の家賃が1,800文でした。また、1820年当時、日本橋の道路側に面した表地代は15坪で月一両でしたから、その半額としても八丁堀で30坪程度の表地を借りるだけで月に一両の地代が掛かったことで…

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武鑑と能役者 3 斎藤家は表通りにあった

(承前 『武鑑』には武士の身分を持つ町人も名を連ねています)  ところが、それだけの副収入があり、斎藤与右衛門に比べれば遥かに裕福だったはずの流派の当主でも、八丁堀の与力屋敷内などの表地に家屋を構えた様子が見られない(八丁堀屋敷図にも名前が掲載されていない)のは、どう考えれば良いのでしょう。(別の能楽師の家はあります。下の図を参照して…

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武鑑と能役者 2 家元は屋敷地も拝領

(承前 能の家元は幕府から屋敷を拝領していました)  それは観世座に所属していた狂言師の鷺仁右衛門を名乗る人物で、もともと始祖とされる鷺仁右衛門宗玄(1560~1650)が独自に編み出した猿楽芸の家元なのですが、徳川家康がとても宗玄を気に入り、わざわざ観世座の一員として組み入れ、更には幕府の狂言方筆頭の地位も与えて庇護したことから、…

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