"東洲斎写楽"の記事一覧

大名と岡っ引き 5 同心たちの私兵

(承前 江戸には「縄張り」を持つ数百人もの岡っ引きが居た)  徳川将軍家お膝元の大江戸で、治安組織の末端を構成していた町方の岡っ引き集団を、全国の各藩大名が蔭で支えていた不思議な構図が浮かび上がります。さて、阿波蜂須賀家では幕臣でもある町奉行所同心や、その配下を構成していた岡っ引きと呼ばれる町人たち多数に扶持米と現金を支給し、藩士たち…

続きを読むread more

大名と岡っ引き 4 数百人も居た親分

(承前)  先に見て来た斎藤十郎兵衛と比べれば少しは「マシ」ですが、とても岡っ引きや手下たちに十分な手当など出せる訳がないのです。ところが貧乏なはずの同心たちは常に何人もの岡っ引きを探索や捕り物の折に引き連れていましたし、幕末期には江戸全体で数百名もの「親分」が居たことになっています。  生活に窮した同心たちが苦肉の策として考え出し…

続きを読むread more

大名と岡っ引き 3 同心の手足となる者

(承前 江戸の人口の半分が町人だったと言われています)  東洲斎写楽を語る時、必ずと言って良い程取り上げられる資料に『阿波徳島藩蜂須賀家家臣、無足以下分限帳』(以下「分限帳」と云う)があります。これは四国の阿波藩が「無足以下」の家臣たちに支給していた給与の一覧表なのですが、そこには「小姓」「中小姓」「奥坊主」「御役者」「女中」から「番…

続きを読むread more