"天津彦根命"の記事一覧

カモと天孫族 下 息長と和邇

(承前)  大王は王子の出雲詣りを即決、占いによって吉と出た曙立王と菟上王の二人を介添え人として都を出立しました。仮宮を建て大御食を出雲国造の祖・岐比佐都美が献上しようとした時、突然、王子が『此の川下にある青葉の山のようなものは、若しかして出雲の石くまの曽宮に鎮座する葦原色許男大神を斎祀る祝の大庭か?』と問いかけ、お供の曙立王たちも大…

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カモと天孫族 上 出雲と銅の文化

 「かも」と名の付く地方自治体の数は加茂市、美濃加茂市など幾つかに限られていますが、町や郡或いは地区の名、更には「字(あざな)」を含めれば可也の数になると思われます。全国的にみて最も良く知られた「かも」と言えば、京都に鎮座している上下の社であることは論を俟ちませんが、考古学の分野で著名なのは島根県の加茂岩倉遺跡だと言って良いでしょう…

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剣彦たち 7 出雲との深い縁

(承前)  ところで鵠を献上した鳥取氏一族は、河内南部を拠点にしていたものと思われ、その祖神を祀った社が上で見た波多神社なのです。神社の古い言い伝えによれば「畑(ハタ)」の地に建てられたので「波多」を冠した事になっていますが、始祖とも云うべき天津彦根命の別名が「波多津美(ハタツミ)」なのですから、名称の由来が「天忍穂耳尊」の兄弟である…

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