"オオクニヌシ"の記事一覧

神祇令とオオクニヌシ 3 祭政不一致

(承前)  三度目の国譲りが「出雲」の地で具体化したのは神武天皇の時代から、更に数世代後、崇神天皇の時代に入ってからの事で、畿内大和で実権を握った大王家は、元々親戚筋に当たる出雲臣たちが管理していた神宝を「見たい=欲しい」と使者を差し向け、親族間の混乱に乗じて出雲一体の支配権を奪い取ります。  西暦四世紀初め頃に出雲大社の社殿が既に…

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神祇令とオオクニヌシ 2 天孫族たち

(承前)  先代旧事本紀「国造本紀」には、崇神朝に天穂日命の十一世孫・宇賀都久怒が出雲国造に任じられたと書かれていますから、諸国と比べて早い時期に国造の地位を得たと思われますが、書紀が伝える「神宝事件」の後、朝廷の意向に従った出雲臣飯入根の子(鵜濡渟)がその人物に当たるのかも知れません。  そして古事記が、アマテラスとスサノオが「天…

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神祇令とオオクニヌシ 1 天神地祇

 律令制度の整備が、天智天皇の近江朝で始められていたという見方については懐疑的な意見が多いようですが、八世紀初頭(西暦701年)に大宝律令が制定され、これを基にした養老令の注釈書である「令義解」によれば、全国にあった神社も全て「令」によって国に管理されていたことが分かります。その冒頭には「およそ天神地祇は神祇官みな常典に依りて祭れ」…

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