吉原と文人 11 千金を投じた南畝?
(承前 南畝が『松楼私語』に残した文書より)
今もって不思議でならないのは、あの貧乏御家人だった大田南畝が、一体どのような手段で吉原の遊女を「身請け」することができたのか、という疑問。確かに彼は自分でも上に貼り付けた画像にある通りの文章を残している。天明六年だから1786年である。当時、吉原の松葉屋という妓楼に「三穂崎」の源氏名で出て…
昭和23年生まれの男性が、偏った感性で選ぶ歴史上の人物や出来事について、極めて不定期に語ります。
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