"歴史"の記事一覧

吉原と文人 11 千金を投じた南畝?

(承前 南畝が『松楼私語』に残した文書より) 今もって不思議でならないのは、あの貧乏御家人だった大田南畝が、一体どのような手段で吉原の遊女を「身請け」することができたのか、という疑問。確かに彼は自分でも上に貼り付けた画像にある通りの文章を残している。天明六年だから1786年である。当時、吉原の松葉屋という妓楼に「三穂崎」の源氏名で出て…

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吉原と文人 10 妻は二人とも遊女上り

(承前 蔦屋に茶を勧めているのが京伝の妻お菊) 戯作者の山東京伝ほど吉原と深いつながりを持った文人も居なかったと言っていい。何しろ二人の妻が、いずれも遊女だったのだから。京伝は先ず絵師としての才能で世に出て行った人ですが、黄表紙『御存知商売物』が文芸界の先輩で人気狂歌師の大田南畝に激賞され、作家としても活躍して行きます。 そしてお定…

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吉原と文人 9 豪遊した土山宗次郎

(承前 天明期の遊女たち、絵師は北尾政演) 江戸期の歴史を語る時に「田沼時代」を抜きにする訳には行かない。余り好意的に田沼意次を取り上げた記事も見かけないが、彼が才能を認めた幕臣の一人に土山宗次郎(1740~1788)という名の人が居る。もともと百五十表取りの御家人に過ぎなかったのだが、安永八年(1776)に田沼の眼に叶って勘定組頭に…

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