イタケルと石凝姥 5 岩と鉱物、森林

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承前 巨石を穿った跡)

 可能性としては石凝姥命の配偶者という立場が相応しく思えますが、それを証明できる資料は未見ですので断定は保留しておきます。ただ、この女神については、父神の名が天糠戸命と云って天孫系の出自を思わせ、親子ともども大和の鏡作神社の祭神ですから、天津彦根命の一族たちとも近しい間柄だったことは確かなようです。

 神話の世界の事とは言えスサノオ親子の「事業」が全く受け継がれていない様に見えるのは時代の移り変わりを反映しているのかも知れません(註:鏡作なのに何故『石』が名前に入っているのか不思議ですが、これは石の型で鏡を作った名残ではないかとする説があります)。

 神話の時代に押し込められたスサノオの業績は、記紀が編まれた八世紀の「今」を生きる朝廷人たちにとって余りにも現実味に欠ける伝承の一つに過ぎなかったのでしょう。それに比べ、邪馬台国の卑弥呼が鏡を好んだと魏志が伝え、皇祖アマテラスが子孫に与えた「八咫の鏡」は神宝の一つとして神宮祭祀の核となって存続しました。

 従って、古墳時代を経た奈良朝の「今」でも鏡作氏たちの技術は継承され、石作たちの仕事内容が「神話」の世界に埋もれた後も尚、鏡の神秘性は保たれたのではないでしょうか。かつて神々が降臨した山頂には磐座が聳えていましたが、崇神帝や垂仁帝の時代を経て祖神を祀る社の建築が進み、姿を決して見せることのない神様の代わりに鏡や剣などの神器が社屋の最深部に安置されるようになると、古墳時代を通して維持されてきた巨石への信仰も徐々に変化したのだと思われます。

 木々を全土に生い茂らせた神々の子孫が巨岩、磐座に最高の価値を認めていたのは、そこに鉱物資源が眠っていたことと無関係では無かったと思われます。その意味で森林と岩山は決して相矛盾する存在では無いのかも知れません。神社が山そのものや巨岩を「御神体」として崇めるのも故なしとは言えないのです。

  (終わり)


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