富雄丸山古墳考 33 同人か別人か

unakami-kokuzo.jpg
承前 『諸系譜』伊勢津彦命後裔に見える五十狭茅宿禰)

スサノオとアマテラスが「誓約」を取り吸わす場面の段、最終部分には
神々の親子関係、後裔たちの姓などが詳しく書き込まれています。その
末尾近くに、下記の記述があります。

  天菩比命之子、建比良鳥命 出雲國造 无耶志國造 
  上菟上國造 下菟上國造 伊自牟國造
  津嶋縣直 遠江國造 等之祖也

先頭に置かれた神名は「天穂日命、アメノホヒ」がアマテラスの子供であり
その子「建比良鳥命」が諸国造の祖先であると伝えている訳ですが、
研究者が「信用が置けない」として採用を見送っている東国の諸国造に
ついて『先代旧事本紀』は、国造本紀の中で、

  成務天皇の御世、天穂日命の八世孫
  忍立化多比命を上海上国造に定めた
  また、応神天皇の御世、孫の弥久都伎直を
  下海上国造に定めた

と記録しており、国立国会図書館が収蔵している『諸系譜』にある
「東国諸国造」に関する天穂日命を祖とする系図類も、これらの記述
内容を踏まえて作成採録されたものだと考えられます。
要は、この「海上、うなかみ」(古事記は菟上と表記)つまり現在の
千葉あたりで海運を支配していた豪族が存在していた訳で、彼ら自身は
自らの祖先は天孫族だったと主張していたことになります。

ただ古事記は仲哀天皇段の記事の中で、

  この時、忍熊王、難波の吉師の祖、伊佐比宿禰を将軍

として戦闘が行われたとも述べていて、読む側を混乱させずにおきません。
何故なら「吉師(きし)」は渡来系の人たちの姓であり、対する皇后側の
将軍の名が同じ地名を冠した「難波根子武振熊命」だからです。
(書紀は「吉師の祖、五十狭茅宿禰と表記している)

  (続く)



この記事へのコメント