五十 2 神聖な「イカ」

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承前 天津彦根命の系図『諸系譜』より)

 一つの例が物部一族の重要人物で崇神天皇の母親でもある「伊香色謎命」と兄の「伊香色雄命」の兄妹です。この二人の場合「伊香(イカ)」という文字が使われ、読みも「イカ」となっていますが、いつも利用する「東国諸国造、天津彦根命之裔」系譜では始祖天津彦根命の孫にあたる神様が「意冨伊我都命、オオイカツ」であり、その系譜は(上の画像参照)、

  天津彦根命--天目一箇命(天御影命)--意冨伊我都命--

  彦伊賀津命--阿目夷沙比止命--川枯彦命--坂戸彦命--国忍冨命

と連なる訳ですが、物部連の祖とも言われる「大禰命」あるいは「彦湯支命」に嫁いで出石心大臣命を産んだ淡海川枯媛、そして中臣連の祖・御食津彦命に嫁いだ御食津媛命(又の名、伊香刀自比売命、イカトジヒメ)の姉妹はいずれも川枯彦命の妹であり、坂戸彦命の妹の坂戸由良都媛命は出石心大臣命の許に輿入れして孝元天皇の皇后となった内色許売命(ウツシコメ)を産んだとされています。

 同系譜は重ねて、国忍冨命の姉妹二人がそれぞれ内色許男命と中臣祖・梨迹臣命の妻となったと伝えていますから、天津彦根命を遠祖に仰ぐ一族の間では、

  物部連、中臣連そして三上祝など古くから神々を

  祀ってきた由緒ある氏族は皆、同族(五十族)なのだ

という伝承が語り継がれていたのだと思われます。

 その中臣氏の或る血筋が後の藤原氏を名乗った(賜姓された)ことは余りにも有名ですが、日本書紀は神功皇后摂政前紀の仲哀九年三月条で、殊更に、

  皇后、吉日を選びて斎宮に入りて、親ら神主となりたまう。
  即ち竹内宿禰に命して琴撫かしむ。
  中臣烏賊津使主(イカツオミ)を召して審神者にす。

と古事記が伝えてもいない「中臣」烏賊津臣が、大王亡き後の重大な場面で「審神者(さにわ)」となって、神功皇后が神から託された「神の言葉」の意味を解いたのだと強調しているのは、記紀の編集時において藤原氏の権力が如何に強大なものであったかを示唆しているものと言えるでしょう。

  (続く)



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