天津彦根命 2 鳥は天孫族の証

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承前

 兄、五瀬命の戦病死という大きな代償を払いながらも紀国から大和を目指した神武天皇の軍勢は、途中、高倉下(タカクラジ、尾張氏の祖)が奉った「韴霊(フツノミタマ)」の霊力に助けられ中洲入りを図りますが、この時、神武の夢に現れたアマテラスが「頭八咫烏(ヤタガラス)」を嚮導者として遣わした事を知ります。

 そして、この鳥に化身したヤタガラスこそ、天津彦根命の息子の一人である天日鷲翔矢命その人であり、彼には「少彦名命、陶津耳命」の別名があり、更に鴨縣主の祖先でもあったのです。つまり、記紀神話が「オオクニヌシと一緒に葦原中国の国造り」を行ったと伝える少彦名命が、実は一族の祖神であって神武の皇后となった姫蹈鞴五十鈴姫の祖父に当る人物だった訳です。

 記紀は天若日子と味鉏高彦根命が「大変親しい間柄であった」と記録していますが、その深い縁は息子の代にも維持踏襲されたものと見え、三輪のオオモノヌシが摂津三島の溝杭耳神(少彦名命と同神)の娘である活玉依姫(玉櫛姫)と結ばれ、生まれた娘が神武皇后となっているのです。孫娘の婿のために少彦名命が神武の大和入りを支援した可能性がゼロとは断言できませんが、二世代という時間差の壁は大きいと思われますから、実際には彼の子供孫たちが天孫族の象徴として神武を受け入れる役割を果たしたのではないでしょうか?
 葛城国造の始祖となった剣根命などが、その代表格と言えます。(鳥類は天孫族の象徴でもあります)

 一方「敵役」であるナガスネヒコの婿となっていたのが、天津彦根命のもう一人の息子である天目一箇命の子・ニギハヤヒでした。しかし、記紀その他の資料を突き合わせて考えれば、長髄彦もまた三輪の血筋を引く大物主の一族であることに変わりは無く、ニギハヤヒの妻となった御炊屋姫は宇摩志麻治命を産んで穂積氏、物部氏の祖となっているのですから、大王位を手中に収めた帝室と、物部として早くに臣下に降った二流(系統)の天孫族の間にあった「国譲り」(実質は支配権の奪取)という厳しい現実が、神話の形をとって尚、後世に語り継がれたのだと思います。

 同じ「兄弟」であっても神武王統の発生時から協力者であったヤタガラスとは異なり、先行してヤマトに入って地元勢力との融合を果たしたことにより、新政権樹立の障害物になってしまったニギハヤヒ側の立場の違いが、その後も長い期間にわたって帝室と天津彦根命系物部氏との通婚が行われなかった大きな要因ではなかったかと推察されるのです。
 また、記紀の編集時においても「敵役」は必要とされたに違いなく、凡河内直味張や都祁国造に関わる「貶められた氏族」としての記述も、その源泉は偏に神武朝誕生時の出来事に遡るものだったと言えそうです。

  (続く)


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