秦と藤原 11 少彦名命に注目

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承前 阿武山古墳の被葬者は誰だったのか)

 先に鴨(事代主命)と三島(三島溝杭耳命の娘、三嶋溝杭姫)が結婚して娘が誕生、そして天孫の神武天皇と結ばれたのだと言いましたが、これには別の言い伝えもあります。

 つまり三島の神「三島溝杭耳命」は「陶津耳命(すえつみみ)」の別名であり、三輪の大物主神と夫婦の契りを結んだ姫の名は「活玉依毘売(いくたまよりひめ)」である、とするもので、この系図に従うと、鴨族は、

  大物主大神(事代主)--櫛御方命--飯肩巣見命--建甕槌命--意富多多泥子

と続く神々の後裔だということになり、上の系図で最後に名前の上がっているのは神話でも有名な「オオタタネコ」その人です。「陶」が「須恵器」のスエであるならば「三島」の地で古くから栄え、地域の守護神としてあがめられ、かつ大王にも匹敵するだけの人物と言えば、神話上「すえつみみ」と称えられ、実際には神武天皇に皇后として娘を差し出した三島一族の首長以外には考えられません。

 更に、その「三島一」の王であり、大和の最有力者の一人でもある鴨族とも親しかった一族の創始者・藤原鎌足の墓が、三島王の墓より、そして又、六世紀の大王の墓より遥かに展望の良い山頂に築かれた事実は、何を物語っているのでしょう。「鎌足」の「カマ」はカモフラージュで、本当は「窯」であり「甕」であったのかも知れません。

 太田茶臼山古墳のすぐ西に、まるで古墳を守るために建てられたような神社がひっそり佇んでいます。その名は、ご想像の通り「太田神社」そのものなのです。『えっ、と言うことは、やっぱり三島と鴨は同族なの?』--そんな声が聞こえそうですが…。

 もう一度「新撰姓氏録」(815年編纂)をひもとくと、手品の種明かしが出来そうです。スサノオそして天照皇大神、豊受皇大神の三神を祭神とすることと「太田氏」に関連する言い伝えなどから里人たちは、あくまでも「オオタタネコ」=大物主、鴨系(三輪系統)の神社だと思い込んでいますが「配神」の少彦名命に鍵が隠されています。
 オオクニヌシの国創りに大いに協力しながら、仕事の途中で惜しまれつつ「常世の国」に弾き飛ばされた事でも有名なスクナヒコナですが、この神を「天日鷲命」と同神とする伝承があり、更に、

  三島溝杭耳命、鴨建角身命、陶津耳命、八意思兼神とも同神である

との言い伝えも存在するのです。

  (続く)


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