富雄丸山古墳考 14 大王と磯城の媛たち

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承前 志貴御縣神社)

初期大和朝の大王たちは、神武と同様に先住民である海神族の娘たちを后妃に迎えました。
「迎えた」と言えばあたかも自らの館に輿入れた様に聞こえますが、当時は「妻問婚
ですから、男性が妻の実家に「通い」、生まれた子供も妻が自ら育て、或る程度の年齢に
達した後、男性の家に住むようになったと考えられています。

初代の神武の一行は、初めから戦闘集団として編成されていたはずですから、その中には
一人の女性も含まれていなかったでしょう。
大和入りした神武は事代主命の娘と結ばれ、子供を儲けたのですから、当然、皇后である
媛蹈鞴五十鈴媛の住む館に「通い」ながら橿原宮の築造を進めたに違いありません。
忌部氏が記した『古語拾遺』によれば、神武の正殿を作り上げたのは、

  天太玉命の孫・天富命

だとありますから、大和に先着していた天孫族の技術集団が新しい盟主のために
腕を振るったに違いありません。
(この天太玉命という神様は、天津彦根命の別名だと思われます)
神武の後裔たちと豪族たちとの婚姻は、凡そ以下のようなものでした。
頻出する「磯城縣主」は事代主命の子である天日方奇日方命の一家です。

天皇名書記本文一書一書古事記
綏靖
事代主命の娘
五十鈴媛
磯城縣主の娘
川派媛
春日縣主大日諸
の娘 糸織媛
師木縣主の祖
河俣毘売
安寧
事代主命の孫
渟名底仲媛
磯城縣主葉江
の娘 河津媛
大間宿禰の娘
糸井媛
師木縣主波江の娘
阿久斗比売
懿徳
息石耳命の娘
天豊津媛
磯城縣主葉江の
弟猪手の娘 泉媛
磯城縣主太真若稚
の娘 飯日媛
師木縣主の祖
賦登麻和訶比売
孝昭
尾張連の祖瀛津世襲
の妹 世襲足媛
磯城縣主葉江
の娘 渟名城津媛
豊秋狭太媛の娘
大井媛
尾張連の祖奥津余曾の妹 余曾多本毘売
孝安姪 押媛
磯城縣主葉江の
娘 長媛
十市縣主五十坂彦
の娘 五十坂媛
姪 忍鹿比売
孝霊
磯城縣主大目
の娘 細媛
春日の
千乳早山香媛
十市縣主等が祖
の娘 真舌媛
十市縣主の祖
大目の娘 細比売

 (続く)



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