天照御魂社 7 ホアカリの実態は

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承前

 およそ豪族たちの系譜作りの目的の一つに、帝室との「深い縁・つながり=正当性」を内外に強調できる利点があったと思われますが、日本書紀も即位前紀戌午年十二月四日条の中で「櫛玉饒速日命は物部氏の遠祖なり」とは書いているものの、天火明命との「親子」関係については記紀ともに一切触れられてはいません。

 国史編纂事業が進められていた七世紀末の時点において「天忍穂耳尊と萬幡豊秋津師比売命との間に生まれた二人の皇子」のうちの一人が天火明命だとする伝承が存在していたことだけは確かな様ですが、書紀が尾張連らの遠祖と明記した天照国照彦天火明命と、物部氏の遠祖であるニギハヤヒを『先代旧事本紀』が敢えて「同神」としたのは、後世の朝廷内実力者たちの勝手な「都合」による処が大だったと言えそうです。

 つまり筆者の考えではホアカリの名を持つ天孫族の伝説的な人物が居た可能性は否定できないものの、それが磐船に乗り神武天皇たちに先駆けて大和に天降ったニギハヤヒと同一人であるとは認められません。世代的に見てもニニギノミコトは神武の祖父乃至は曽祖父にあたる人ですから、卑弥呼以上の長寿を全うしても両者が相まみえることは相当困難だったことでしょう。

 若し土地に伝わる風聞の中に、歴史の隠された事実の欠片があるかも知れないとするなら「播磨風土記」が記した大汝命(オオナムチ=大国主命)の子・火明命の文言に注目すべきでしょう。飾磨郡伊和の里条に見えるオオナムチを、古代出雲で活躍した天孫族のオオクニヌシの実体、天津彦根命・天目一箇命(天御影命)親子だと仮定すれば、その子供に物部氏の祖神が生まれたとしても不思議ではありません(但し、その場合でも火明命はニギハヤヒの転訛とみるべきでしょう)。

 さて、その大穴牟遅神の和魂(にぎたま)であるとされる大和三輪山の主祭神・大物主命の正式尊称を倭大物主櫛甕魂命といい、出雲神話では大国主命の子供の地位を与えられて国譲りの場面でとても大切な役割を演じた事代主命は、神功皇后前紀において天事代虚事代玉櫛入彦厳之事代神とも呼ばれています。

 この二柱はワニに姿を変えて摂津三島の溝咋姫(またの名、玉櫛姫。父親は三島溝咋耳神=陶津耳神=少彦名神)の許に通い媛踏鞴五十鈴媛命を生んだといいう有名な神話の当事者で、いずれも尊称に「櫛」の一字を含み、貴種であることに変わりはありませんが、大物主命の呼称に含まれる「甕=みか」は水や海の象徴でもあるので、本来は海人たちが祀る神様の性格を持っていると考えられます。事代主命が一名「玉櫛入彦」と呼ばれるのは、彼が三島の陶津耳神の「入り婿」だったことを端的に伝えているのかも知れません。


 (続く)


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