天照御魂社 5 神功皇后の伝説
(承前)
同じ攝津国にある高槻の三島鴨神社を調べているうちに、一つの社の存在が気になり先日訪れてみました。その時、社務所に居た方(宮司さんだったかも…)と話す機会があり、どうやら、もともと「新屋坐天照御魂神社」の境内社であったとのことで、三島の神社に『神功皇后』の話が伝わっているのは、どうやら、こちらの方が本家のようです。そのお社を磯良神社(いそら)、通称を疣水(いぼみず)神社と言います。
同社の「由緒略記」によれば、祭神の磯良大神は「九州安曇氏の祖神」として知られ、また「住吉大社三神とともに神功皇后の遠征に際しては水先案内を努め航海の安全に功があった」とされる水運・海運の神様のようです。また『摂津名所図会』でも紹介され、通称の語源ともなっている「疣水」については、
神功皇后が遠征に際して三島の地に立ち寄り、天照御魂神社に祈願をして
社頭に湧き出ている「玉の井」で顔を洗った。
すると美しい皇后の顔が、みるみる内に疣や吹き出物で覆われ、
醜い男のような姿になった。ところが皇后は
『これこそ神慮のたまものである』として、勇んで男装をして敵地へ赴き、見事な戦果を収めることが出来た。
と言う「話」を伝え、凱旋の後、夢のお告げによって、再び三島の地を訪れた皇后が、もう一度「玉の井」で顔を洗うと、元の美しい顔を取り戻したそうです。
(追記)
古代豪族の各家には、それぞれが代々伝えて来た「独自の」伝承がありました。それは当然『己の正統性』を強く主張するものであったはずですが、クニの並立から中央集権的な「国」へと成長して行く過程で、それぞれの「独自の伝承」は正史の中で必ずしも各豪族たちの主張通りに扱われるとは限らなかったのです。
王権を樹立した極一部の「何々氏」にとって余り都合の良くないものは排除され、また史実としてではなく「物語」として取り扱われることもしばしばでした。更に、権威付けに好都合な内容は改編改造されたとも考えられるのです。
神様たちの本来の姿が「そのまま」忠実に伝えられてきたとは限らないという事なのでしょう。政権そのものが変われば、その中枢にある豪族の主張が最も重要視されたに違いありません。
(続く)
楽しく歴史や文学に親しみましょう
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