天照御魂社 4 尾張氏の伝承か?
(承前)
この点については籠神社八十二代宮司の海部光彦氏も『彦火明命と天照御魂神は同神』で『天照国照天彦火明命の根本神格は原始太陽神』だと言明してるようです。つまり遠慮がちにではありますが、
天照(あまてらす)大神、皇大神
よりも、
天照国照(あまてるくにてる)
という「神の呼び名」の方が歴史的にも古い形を残しており、本来の(より古い)神々の中心的存在であった太陽神は「天照国照神」と呼ばれていたのではないかと示唆しているようにも見えるのです。そして何より新屋福井地区には、
天照大神自身が降臨、鎮座した
と伝えられる場所があり、そこは地区の住民たちから親しみを込め『日降りの丘』と呼ばれていたそうです。これも記紀神話の筋書きからすれば全く在り得ない「お話し」に過ぎませんが、福井村の西の丘に降臨した神様が天照(アマテラス)ではなく天照御魂神(あまてるみたま)であり、かつ、その時期がアマテラスに「先行」していたとするなら、決して在り得ない「話」ではないでしょう。
そして、この想像は、もう一つの傍証『先代旧事本紀』巻五の尾張氏系図によっても補強されるのですが、ニギハヤヒについては又、別の機会に語ることといたしましょう。(「本紀」系図においても火明命は饒速日命と同神の扱いをされています。尾張氏はニギハヤヒの子、天香語山命[亦の名、高倉下命]の子孫だと称しています)
いつものオマケをもう一つ。「日本書紀」は本文と対比させる様な「一書」が幾つも列記されており、古代の「言い伝え」が複数あったことを示唆していますが、天孫に関する、つまり家系に関する部分にも大変興味深い一書が存在しています。それは天孫ニニギノミコトに纏わる記述部分で、そこには、
火明命、つまり饒速日命(ニギハヤヒノミコト)がニニギノミコトの兄であり
火明命の児・天香山が尾張連等の遠祖である
と明記されているのです。(本文では彦火火出見の弟・火明命が尾張連等の始祖だと書かれています。想像に過ぎませんが、帝室の基盤を整えた継体天皇の妃・目子媛=安閑・宣化の母=が尾張氏から出ていることが、その始祖の出自にも強く影響したのだろうと思われます。更には、初代天皇とされる神武の母親である玉依姫が、海神族の娘であることも帝室と尾張氏を殊更に近しい存在とする主張の背景になっているのかも知れません)
(続く)
楽しく歴史や文学に親しみましょう
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