赤衾の神 3 青衾神社も存在
(承前 伊勢津彦命は出雲の出身)
と言うのは、当オノコロ共和国(旧ホームページ)では記紀で「大国主命に媚びた」とされ「還し矢」で命を絶たれた天若日子と、アマテラスの三男・天津彦根命が「同神」であるという仮定の上に古代試論を展開しています。
従って、この神様の「后(正妻)」はオオクニヌシと多紀理姫命との間に生まれた下光姫命(高姫命)のはずですから、出雲国風土記などに登場する「水戸神」の神格を持つ天𤭖津日女命は、明らかに異なる別の女神だと思われるのです。
尤も、オオクニヌシに限らず古代の神々には複数の「妻神」が居ましたから「后」は単に天𤭖津日女命側の伝承をそのまま表わしたものと言う解釈が出来ない訳ではありません。同風土記では「国引き」はあっても「国譲り」の神話は無く「オオクニヌシ」という名称の神様も活躍することが無いのですから、出雲独自の「神婚話」が他にあったとしても別段不合理とは言えないでしょう。
さて最後に「赤衾」の意味ですが、先学は「赤いフスマ=寝具」で、次の「伊努=寝る」に掛かる言葉だと説明しています。衾(ふすま)は長方形の薄い一枚の布地を指し、旧意宇郡の条で詳しく語られている「国引き」神話の中でも、
出雲の国は、狭布の稚国なるかも。初国小さく作らせり。
故、作り縫はな、と詔りたまひて、
𣑥衾、志羅紀の三埼を国の余ありやと見れば、
国の余あり、と詔りたまひて、童女の胸鉏取らして(後略)
の様に「赤」ではありませんが、梶の木や楮などの繊維から造られた「𣑥」衾が、その光沢のある白さから志羅紀(しらぎ)の係言葉として用いられています。
万葉秀歌の一つである持統天皇の和歌にも「白妙の」という言葉が使われていますが、これも「𣑥」から作られた白い布の事です。また尾張国旧愛知郡には天道日女命(ニギハヤヒの后)を祭神とする青衾神社が鎮座していますが、江戸期には『日神を祀った東六社の青衾社』と『月神を祀った西六社の白衾社』が在って、その何れもが「あおふすま社」と呼ばれていたらしく、現在の青衾社は何故か「月神を祀った西六社」だけを継承している社なのだそうです。
「白」でもなく「青」でもない「赤」と表現したのには相応の理由があったはずと色々考えてみたのですが、良い結論を得ることは出来ませんでした。
(終わり)
楽しく歴史や文学に親しみましょう
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