赤衾の神 2 「櫛・くし」は尊称

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承前 オオクニヌシと同様、神様は幾つも別名を持っています)

 一方、成務天皇の治世五年に、出雲国造と同族である兄多毛比命が「无邪志国造」に定められたとする武蔵国造側の伝承を伝えてきた氷川神社の資料(武蔵国一之宮氷川神社書上、西角井家系)によると、天穂日命の孫は伊佐我命一人ではなく、もう一人別に出雲建子命という名前の子供があり「櫛玉命」という亦名を持つ彼こそ伊勢津彦命であると記録されています。

 「櫛(くし)」の字に古代の人々が託した思いについては天照御魂神のページで詳しく検証してきましたが、主に天孫系の主要な神々と後裔たちに与えられた「称号」の一つで、旧ホームページのオノコロ・シリーズが調べ得た範囲では天津彦根命(天穂日命と同神)と大己貴命の一族に多く見られる傾向があります。例えば、

  天津彦根命=神櫛玉命  天御影命(天目一箇命、天夷鳥命)=櫛明玉命  

  饒速日命=櫛瓊・櫛玉命  伊佐我命=櫛八玉命

  大物主命=櫛𤭖玉命  事代主命=玉櫛入彦命  天日方奇日方=櫛御方命  

などの神々人々が「奇し」に音が通じる「櫛」の一字を冠しており、天孫・地祇双方とも「祖神」と崇められてきた存在です。
 また天穂日命の子孫、出雲国造家では伊佐我命の後も、三世の津狭命(亦名・神狭命)を除いて、四世櫛𤭖前命、五世櫛月命、六世櫛𤭖鳥海命、七世櫛田命と「櫛」を含む名称を何代も引き継ぎ、異彩を放っています。

 中田憲信がどの様な史料を基に赤衾伊農意保須美比古佐和気命を天穂日命の亦名と判断を下したのか不明ですが、この神名からは「伊農(伊努)」と「意保須毘(大隅)」に縁が深い事が分かります。更に上で見た二つの系譜とも天穂日命の別名を「熊野大隅命」と伝え、水戸神天𤭖津日女命との間に「伊努比売命」が生まれた点でも整合していますから「意美豆努命の子」という部分を「意美豆努命の後裔(外縁も含め)」の意だと解釈するなら、両神が異名同神であると見て良いのではないかと考えます。

(註・ニギハヤヒと伊佐我命は伝わる尊称が異なっていますから別人と考えるのが自然です)。ただ、同神説を肯首する場合でも「后・天𤭖津日女命」の神格が問題となります。

 (続く)


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