赤衾の神 1 諸系譜に手掛かり
(系譜の資料を集めた『諸系譜』より)
出雲にはかつて不思議なお名前の神様が住んでいたらしい。西暦733年、天平五年二月の奥付を持つ出雲国風土記、旧秋鹿郡には凡そ次の様に記されています。
伊農(いぬ)の郷 出雲の郡、伊農の郷に坐す
赤衾伊農意保須美比古佐和気命(あかふすまいぬおほすみひこさわけのみこと)の后
天𤭖津日女命、国巡り行でましし時、ここに至りまして、詔りたまひしく
「伊農はや」と詔りたまひき。故、伊努といふ。
また距離的に少し離れた旧出雲郡にも伊努の郷があって、その項には「国引きましし意美豆努命(おみづぬのみこと)の御子、赤衾伊農意保須美佐和気命の社、すなはち郷の中に坐す。故、伊農といふ。神亀三年、字を伊努とあらたむ」とあります。
ここで「国引きましし」の尊称で語られている神様は風土記・総記の冒頭で「八束水臣津野命、詔りたまひしく『八雲立つ』と詔りたまひき」と紹介され、意宇郡の処でも「国引きましし八束水臣津野命」として、詳しく「国引き神話」の主人公として描かれている出雲の祖神ともいうべき存在で、古事記はスサノオの四世孫、オオクニヌシの祖父と位置付けています。
つまり字義通りに解釈すれば天冬衣命(天葺根命)が「赤衾」神だという事になるのですが、記紀は勿論の事他の文献資料にも一切登場しない神名なので、筆者もこれまで関心を持つことがありませんでした。
ただ、后神の天𤭖津日女命(尾張国風土記逸文では阿麻乃彌加都比女、アマノミカツヒメ)については垂仁天皇皇子ホムツワケの記事で取り上げていますので、満更知らない仲?でもありません、それはさておき。
灯台下暗しと言うか、手掛かりは意外な処に明示されていました。旧ホームページのオノコロ・シリーズでは此れまでにも、系図収集で知られる中田憲信が遺した「諸系譜」に書き留められている幾つもの系譜を紹介し、それらを参照した記事を発信してきましたが、その中の「東国諸国造」伊勢津彦命後裔の冒頭部分が上で見た「赤衾」神に関わる疑問に光を当ててくれそうです。
先ず、上の画像を見てもらえば「意美豆努命」の子が「天穂日命」であり、その后神が「天𤭖津日女命」であると記されています。そして字が小さくて見え難いかも知れませんが天穂日命の亦の名として「依野城命」「赤衾伊努大住日子佐別命」「熊野大隅命」「伊毘志都幣命」の四つが上げられており、この夫婦神の子には「天夷鳥命」「伊努比売命」二柱が居ます。
更に天穂日命には「櫛八玉」の異名を持つ「伊佐我命」という孫がおり、これが東国諸国造の祖となった伊勢津彦命(亦の名、出雲建子命)だと言う訳です。
(続く)
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