金太郎 4 山姥は山の神
(承前)
この時誕生した主人公「怪童丸」こそ坂田金時いや、金太郎そのもので、奥州遠征の帰り道、足柄山で偶然出合った源頼光に所望された怪童丸は、
荒熊の片足をつかんでくるくると回し
二、三間も投げ飛ばし
た後「ああ、くたびれた乳が飲みたい」と言って母親の膝にもたれかかった、そうです。浄瑠璃の「山姥」は、二年後の正徳四年に歌舞伎芝居として大阪で初上演されています。
つまり、結論めいた言い方をするなら、金太郎そのものは創作世界の人物ですが、その大元になった実在したであろう人物の「伝説」が、姿を変え、時代を経てお江戸の町に煌びやかに出現したわけです。また金太郎の誕生に際しては「公時」の英雄伝説だけが背景として在ったのではなく、各地にあった「山姥伝説」も色濃く反映されていると考えられています。
それは、今風に言えば「野生児への恐れと憧れ」でしょうか!「山姥」そのものは町の人から見れば恐ろしい存在なのですが、彼女が慈しみ育てた「自然児」は人にとって決して疎ましい存在ではないのです。自然の中で動物たちを遊び相手に伸び伸びと育った子供は、江戸という一見安定した管理社会の中で暮さざるを得なかった庶民たちにとって、ある種の理想像であったのかも知れません。
民俗学の柳田國男は、その「山姥」について、
新しい信仰が行われるようになると、
それまで信仰されていた「神」は、落ちぶれ
妖怪に姿を変えられてしまう
との説を唱え「山姥」を「山の神」の剥落した姿に他ならないと述べているそうですが、民話で伝わる「山姥」は、
髪の毛は銀の針金のようで、大きな目玉をくるくると剥き
口が耳まで裂けて、赤い舌をだらりと垂らし、人を取って食う
恐ろしい山の妖怪、だとされてきました。この「人食い」云々については、皆さんお馴染みの『今昔物語集』(巻第二十七)にも南山科に住む鬼女として記述されており、誕生間もない赤ん坊の寝姿を見た「一人暮らしの老女」は、
穴甘気、只一口(なんと美味そうな、一口で食べられそうだ)
と呟いたため、子供の母親は恐ろしさの余り、早々に逃げ出したそうです。そんな「山姥と子供」の取り合わせの原型がどこにあったのか、先の柳田説からは中々答えがみつかりそうにありませんが「山の神」に仕えた「神の妻」としての「巫女」が、手掛かりを与えてくれそうな気もします。
それから、ご亭主族にとって恐ろしい存在である妻女のことを『山の神』と称するのは、この山姥伝説に源を発しているのかも知れません。
(終わり)
楽しく歴史や文学に親しみましょう
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