金太郎 1 相撲使の公時
(金太郎は元気な子供の象徴でもあります)
此の世をば 我が世とぞ思ふ 望月の かけたる事も 無しと思へば
さて、御堂関白の称号でも知られる、この傲慢な歌を詠んだ人の名前は何と言うでしょう--?というのが今回の主題ではありません。見出しにもある通り、主人公は、おとぎ話でも人気の有る金太郎さんです。では、どうして平安貴族の代表格であり、摂関政治の頂点を極めた藤原道長(ふじわら・みちなが、966~1027)が登場するのかと言えば、彼の日記『御堂関白記』(みどうかんぱくき)に、次のような記述が残されているからに他なりません。
帥(大宰府の長官)のもとより書を送らる。書を開き見るに曰く
相撲使・公時死去の由なり。件の男は随身なり。
ただいま両府(左近衛府・右近衛府)の者の中、第一の者なり。
日来(ひごろ)かく云々により、憐れむ者多し。
これは道長が寛仁元年(1017)八月二十四日の項に書き留めた、大宰府の長官から送られた公文書の一部だと考えられる文言なのですが、その主旨は、
都から相撲使として、力自慢・腕自慢の兵を探しに大宰府へ出かけていた
近衛兵の第一人者である「公時(きんとき)」という者が死去した。
日頃から彼を噂するものが多かったので、皆、その死を憐れんでいる。
というものですが、どうやら、この実在した相撲使・公時が、われらが金太郎のモデルになった人物ではないかと思われるのです。ただし、この公時さんは、無論、大人、それも力自慢の兵士であった訳ですが、彼(公時)の名前は、道長と同時代を生きた他の貴族の日記にも登場しており、競馬や弓の名手としても知られた武人であったらしいのです。
(続く)
楽しく歴史や文学に親しみましょう
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