大神神社 3 豊穣をもたらす神々

2009.06.28 065.jpg
承前

 さて、話を戻し、この託宣(お告げ、予言も含む)をした神様こそ三輪の神、大物主大神(オオモノヌシ)なのですが、これが、日本書紀になると記述が微妙に異なってきます。お話の趣旨はほとんど同じなのですが、書紀によればオオクニヌシではなく、オオナムチ(記紀の編集者たちはオオクニヌシの別名だと説明している)が国づくりの主役とされており、海を照らしてやってきた神様は、

  オオナムチ自身の幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)

であり、その神様の方から『日本国(やまと)の三諸山に住みたい』と申し出た、ことになっています。これはオオナムチが、すなわち大物主命であると言っているわけで、先にイズモのページ等で見てきたオオクニヌシをオオナムチと同一視させたやり口と全く同じ論理です。

 恐らく、倭(やまと)の三輪地方にも古くから住民の信仰対象になっていた神様が居たはずで、記紀の編集人たちがイズモと出雲地方の二つをイメージの上で重ね合わせ、カミサマたちの擬似的な血縁関係を系譜上で意図的に作り上げたように、ここでも『後からやってきたカミサマ』の辻褄あわせが行われたのでしょう。(オオモノヌシは味鋤高彦根命系統の神様です)

 ただ、神話の原型とも言える「海からやって来る神様」の部分は核芯として残されたわけで、彼方からやってくるモノ、そして、それが土地(イコール住民たち)に有益なものをもたらす、という言い伝えには根強いものがあったのだと考えられます。筆者としては、その一番有益だったものが「イネ(稲作)」の伝来だと考えています。

 昨今、考古学や比較言語学、あるいは遺伝子工学などの学問世界ではどのような解釈が成されているのかは知りませんが、もともと狩猟・採集生活を基盤としていたはずの原日本に、稲作という『文化』がもたらされたことは、日本史を考える上で大変重要な出来事、事件であったと筆者は考えています。

 一つの土地に定住する新しい暮らし方が可能になったことで、人々は計り知れない恩恵を得たに違いないのです。今でこそ日本というクニは農耕的な基盤のもとに発展した社会だと考えられてはいますが、原日本というクニに初めから稲作文化が存在していた訳ではないのですから、はるばると海を越えてイネ(栽培食物文化の象徴)を伝えた人々が、豊穣を齎すカミサマとして祭られたのは至極当然のことに思えるのですが、皆さんはどのようにお考えですか?

(続く)

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