田舎の転校生 65 見せ物「おおいたち」

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承前

 「何も、この先生だけが悪いわけやないし憎い訳でもない、皆もそれは十分わかってたと思う。

  ただ、日頃何かにつけて鬱積してた学校・大人という権威に対する不満の捌け口がほしかった。   

  校則規則、建前社会、テストテスト、点数主義…、落ちこぼれには、明日はなかったからなぁ」

 生徒の眼は、学校という組織の、最も弱い楔の在処を正確に見抜き、格好の攻撃目標とした。大人が権威をまとったご都合主義であるのならば、子供たちの行為の本質は冷酷無慈悲な報復主義でさえあった。
 ただ、その場に、たまたま居合わせたばかりに伝説の主人公に祭り上げられていく先生。

 我に七難八苦を与え給え、滑稽なほど茨の道を我武者羅に突き進み、初心を貫き通す愚直さに、浅はかな猿知恵ぶりを得意がり、木から落ちる自画像が二重写し。武士の情けも忘れ、他人のあれこればかりあげつらう貧相な顔が、鏡の向こうから自分自身を嘲笑っていた。

 閑話休題、薬師さんの境内は、広さも伽藍も立派なもので、本堂・ご本尊は長長と続く石段を登り詰めた山奥に鎮座している。年に一度の祭りには夜店、見せ物小屋が立ち並び、賑わいは神戸の祇園さんを彷彿させる。

 一番のご愛嬌は『おおいたち』と『河童』の見せ物。恥ずかしがり屋の河童君、地面に竹囲いで設らえた、都会で流行りの牛乳風呂とみまがう盤の中から一向に姿を見せようとせず、何やら頭のお皿らしき灰色円盤状の物体と思しきものが水中で間欠泉よろしく何度か上下するが、何かが明確に見える領域には決して浮上しない。

 隣に建て掛けてある、畳二畳ほどもある大きな板には血糊に擬した赤ペンキがべったり。詐欺まがいの代物だが、文句を言うのは野暮というもの。ただ蛇女は誇大広告の疑いが濃厚であったものの、確かに一見の価値はあった。蛇のようにくねくね延びる生白いろくろ首の、錦絵を真似た下手くそな看板に釣られて入ってみると、蛇は観客の目の前で細切れ食品に加工され、彼女の胃袋へ直行したのである。

(続く)

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