源義経 8 系図が暗示するもの

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承前

 学問的な証明をこの場でするのは土台無理な話しですから、いつものように分かっている事実だけで推理を進めますが、今、手許にある資料は、これまでに登場した主要な人物の生没年、それも?マークの付いたものであることを承知しておいてください。

 まず、清和天皇系図から見てゆきますが、この場合、致命的な欠陥というか信じられない事柄が大きく立ち塞がってしまいます。それは次の表を見てもらえば直に皆さんも気づかれる単純な一つの理由です(各人の生没年や年齢などについては資料により異なるものがあります。以下の数字も、あくまで、その内の一部であることをお忘れなく)

名前生年没年
清和天皇850880
貞純親王873916
経基王917961
源 満仲912997
源 頼信9681048

 どうです、もう、お分かりですね。源氏の祖を清和天皇に求める系図は初めから矛盾を抱えています。理由其の一、

  清和天皇の孫だとされる経基王が貞純親王が亡くなられた後に誕生している

 もっとも貞純親王の没年については異なる文書も伝わっているようですから、経基王が生まれた後に亡くなられた可能性が全く無いとは言い切れません。さらに、理由其のニ、

  経基王の子供だとされる源満仲が親よりも5年早く生まれている(「尊卑分脈」)

 これは、単純な系図上のミスというよりは作為が初めから存在したものと考えたほうが良いでしょう。聡明で現実主義者だったはずの源頼朝が、このような杜撰で滑稽な家系図を作成した事自体、彼等が源氏ですらなかったのでは、という疑問を抱かせるのですが、読者の皆さんは、どのように受け止められましたか。この生没年から推理した系図分析では、源頼信の言う陽成系図も同様の疑問符が浮上します。

(続く)

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