小説・写楽 6 曲亭馬琴の登場

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承前

 「ああ、伝内さんには、まだ顔見世を済ませてなかったっけなぁ。

  俺の弟分で、今、重さんとこに厄介かけている滝沢だ。ひとつ、ご贔屓に。

  悪いな、酒を三本、いや五本もってきておくれ」

 「はい、お師匠。…私は滝沢ではなく、ただの馬琴です。」

 「おや、そうだったね馬琴さん、でも、その師匠っていうのは止めとくれ、

  何度も言ってるじゃないか」

 「はい、お師匠」

 滝沢と呼ばれた男は表情も変えず、身体の陰に隠すように置いてあった盆から湯気のたっている二号徳利を2本、それぞれの膳の前に置いて、後は何も言わずに襖を閉じた。

 「随分と気の効いたお方のようで」

 それでなくとも細い伝内の鋭い眼が、より細くなったように見えたのには訳がある。その事をなにより誰より知っているのは蔦屋重三郎自身であることも。

 常日頃「物書きに師匠はいらない、物書きに弟子はいらない」と公言していた山東京伝が、何を思ったのか滝沢に入門を許したのが寛政2年秋。翌年『仕懸文庫』など三冊の出版についてお咎めを受けた際、蔦屋は、なんとか処罰の対象を自分一人で済ませようと白洲の場で、ひたすら恐れ入ったのだが、その時、取調べにあたる役人の態度が、それまでとは微妙に異なり、彼等の表情には自信のようなものさえ見え隠れしていた。

(続く)

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