饒速日と巨石 1 虚空を舞う大岩

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 物部氏の伝承を記録した書物として良く知られている「先代旧事本紀」によれば、天祖とも称されるニギハヤヒは大勢の部下を従えて天磐船に乗り天降ったと云う。その模様を記した部分を紹介すると、

  饒速日尊は、天神の御祖神のご命令を受け、天の磐船にのり、

  河内国の河上の哮峯(イカルガのみね)に天降られた。さらに大倭国の鳥見

  (トミ)の白庭山にお遷りになった。

  尊は天の磐船に乗り、大虚空をかけめぐり、この土地をめぐり見て天降られた。

  すなわち「虚空見つ日本の国」といわれるのは、この故事に基づくものである。

 という事なのですが、研究者たちの多くが『磐の船が空を飛ぶはずがない』という極めて短絡的な分析?を根拠に、全ては後世の関係者が机上で作り上げた架空の物語に過ぎない、つまりは「神話」なのだから事実とは異なるものだとして「研究」対象にすら取り上げて貰えないのが実情のようです。

 筆者もSF好き人間ではありますが、半村良(1933~2002)の作品に出てくるような「岩を自在に操り虚空を舞う」人物が現実に存在するとは決して考えていませんが、自らの祖先を称える目的で何故『天磐船に乗って河内に天降った』と言う「破天荒な表現」を敢えて用いたのか、その心情を忖度することは古代人たちの価値観と生活振りを探る、大切な手掛かりに成るはずだと思うのです。彼等が「岩船」物語に託した先祖の偉業とは何だったのか、それが今回の主題です。

 古代の実力者と大きな磐と来れば、直ぐに思い浮ぶものがあります。それが古墳時代に王族豪族たちの墓域を構築した石室や終の棲家となった石棺で、特に「飛鳥の石舞台」として観光客の耳目を集めている巨石の組合せは、正に「磐の船」そのものに見えなくもありません。また「益田岩船」(奈良橿原市、上の画像参照)の名称で知られる石造物の用途などについては専門家たちの間でも意見が分かれているようですが、丘陵部に置かれた姿は何かの基壇のようでもあり、大空から降りてきた母船のようでもあります。

(続く)

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