大国主と垂仁天皇 1 重なる神名

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 古代史の世界を長年探訪していると、その内、以前には思いつかなかった神々と大王そして日本各地の豪族たちとの隠された繋がり、縁等が複雑に絡み合った麻糸状の一端が朧気ながらも暗闇の彼方に見え隠れして、秘密の財宝の在り処を記した門外不出の古地図を発見でもしたような気持に、ほんの一瞬浸れることもある。
 それが資料の分析に時間と能力の全てを注ぎ込んだ己自身への細やかなご褒美でもある訳ですが、そんな歴史探訪の旅を続ける内に、何とはなく「お気に入り」の神様や人物の像が幾つか形作られます。筆者の場合、早くから継体大王の出自などをHPのテーマの一つに掲げていた事情もあり、系譜を遡る途上で応神そして垂仁という二人の存在が大きな意味を持つようになったと思われます。

 また、十代の半ばの三年近くを過ごした出雲地方を代表する神様の一柱であるオオクニヌシは、サイトを始める前からの関心事でもあった訳ですから出雲阿国が始めたとされる歌舞伎芝居は勿論、出雲大社そしてスサノオなどが登場する様々な神話を通して古代氏族にも大いに興味を持つことになったと言えそうです。そして、二つの関心事が出雲の「国譲り神話」という舞台を調べる内に深く複雑に交錯していることに気付きます。

 古事記と云う書物は様々な特徴を持つ資料で、見る者の持つ問題意識により時に万華鏡のような風景が現れたり、その一方では記された文言の意味すら解読不明で、編者たちの意図さえ掴みかねる部分も少なくありません。後者の典型が「オオクニヌシの神裔」と呼ばれている一連の系譜で、概ね次のような神様たちの名が伝えられています。

註:この段の冒頭にあるオオクニヌシと多紀理媛命、また神屋楯媛命との子供たちは除き、八島牟遅能神の子以下についてのみ書き出してあります)。また、近江の御上神社の社家である三上祝の系図との比較が必要なので下の段に並置しました(三上氏の家系は『諸系譜』を参照したもの。第四代の彦伊賀津命が神武天皇の時代にほぼ同期します)
 初代二代三代四代五代六代七代八代九代
大国主鳥鳴海神国忍富神速甕之多気佐波夜遅奴美神甕主日子神多比理岐志麻流毘神美呂浪神忍富鳥鳴海天日原大科度美神
鳥耳神日名照額田毘道男八河江媛神前玉媛神比那良志神活玉前玉媛命青沼馬沼媛神若盡女神遠津待根神
鳥鳴海神国忍富神遠甕之多気佐波夜遅奴美神甕主日子神多比理岐志麻流美神美呂浪神布忍富鳥鳴海神天日原大科度美神遠津山岬多良斯神
初代二代三代四代五代六代七代
天津彦根命天御影命意富伊我都命彦伊賀津命天夷沙比止命川枯彦命坂戸彦命
八代九代十代十一代十二代  
国忍富命大加賀美命鳥鳴海命八倉田命室彦命  

(続く)

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