八丁堀同心の「仕事」も色々
「犬も歩けば棒に当たる」は、良くない例を示した言葉だが、
資料探しを続けていると、思わぬ処で、予期せぬ収穫にありつける、こともある。
斎藤十郎兵衛が実在し、阿波藩の能役者として俸給を得ていた事実は
『阿波徳島藩蜂須賀家家臣 無足以下分限帳』を調べることで明らかになるのだが、
文政十二年十二月の奥付がある「同分限帳」の末尾近くには次の記載がある。
町医師 中原三清 三人扶持
家お役者 威徳三郎四郎 三人扶持
町同心 吉沢五郎蔵 二人扶持 吉沢祐介 二人扶持
特に説明するまでもないが、大名家に「出入り」を許されていた者、
医者や能役者と共に、町奉行所に勤めていた同心たちも、
上記の様に「出入り扶持」を貰っていたのであり、
恐らく阿波藩に限らず、諸藩も同様に町同心を取り込んでいたと思われる。
大名家にとってみれば、江戸市中で自家の藩士が何かの事件に巻き込まれる事は
是非とも避けたいに違いなく、万が一の時を想定して「忖度」してくれる、
その道の専門家と親しい関係を持っておくことは、大切な交際術だった。
(お役者の威徳は宝生流、大ツツミの演者。上の画像は北町奉行所同心の姓名帳)
楽しく歴史や文学に親しみましょう

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