写楽たちの銭湯 3 風呂屋は社交場

(承前 二本差しのお侍さんも一緒に風呂に入ります。裸の付き合い?) 享和二年(1802)になって戯作者の山東京伝は大田南畝の「類考」を前提とした「浮世絵類考追考」を書き上げているのですが、ここでも京伝は写楽などの絵師について独自の情報は付記していません。その代わりと言っては何ですが彼は同じ年『賢愚湊銭湯新話』という読本を出版しています…

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厄除け詩集 2 京都での交遊

(承前 読みたい本がありますか)  中原中也より六歳年上の詩人・富永太郎(1901~1925)は、東京府立第一中学校から旧制第二高等学校(仙台)に進み理系の道を模索していましたが、外国文学・哲学などへ関心が移ると共に科学そのものへの情熱が次第に失われ、遂には進級に必要な単位を取れず落第してしまいます。また、その頃からフランス語を学び象…

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写楽たちの銭湯 2 正体不明の浮世絵師

(承前 「港」は「いりごみ」と読ませます。混浴のことです) 歌舞伎役者の似顔絵を描いた東洲斎写楽の実像について、版元の蔦屋重三郎は何も語っていません。彼の耕書堂には寛政六年に上方から戻って来た十辺舎一九が居候のような形で勤め、出版に関わる作業を手伝っていたはずなのですが、彼も写楽について他言していません。一九は寛政七年に蔦屋から『心学…

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