地震とナマズ 10 世直しナマズの正体

(承前)  当時の世相、庶民の暮らしぶり、そして天保の改革による出版統制などの諸条件をすべて並べてみても、初めにお話しした「何故、安政大地震の時、鯰絵が大流行したか」という問いかけに満足の行く答えを引き出すことは出来ません。それは、浮世絵・錦絵が出回るには、それ相応の時間(と制作に携わる多くの職人)がどうしても必要だからです。  例…

続きを読むread more

「ドン」と「半ドン」

明治の世となり、新政府が江戸期を通じて用いられていた太陰暦を西欧列国共通の新暦(太陽暦)に改めたのは1873年1月だったが、これより二年も前に定められたのが『午砲の制』と呼ばれる法で、それまでの「不定時」を刷新し、人々に「時間」「時刻」の意識を持ってもらい、一日二十四時間の「正午」に午砲台で空砲を放ったのか゛、所謂「ドン」である。多くの…

続きを読むread more

地震とナマズ 9 予知能力?

(承前)  鹿島大明神への信仰は、江戸初期から存在していたようで、未見ですが1662年に発行された『大極地震記』という書物の中に「揺らぐとも よもや抜けじの 要石 鹿島の神の あらむ限りは」と謂う歌も紹介されています。ですから、そのような風評・俗信の類があったのは確かですが、その反面、安政大地震の後で纏められた地震の前兆記録(庶民から…

続きを読むread more