富雄丸山古墳2 武器と祭祀

日本書紀は神武天皇即位前紀の戊午年夏四月条の中で、   皇師兵をととのえて、歩より龍田に趣く。而して其の路狭く峻しくして  人並み行くこと得ず。すなわち還りて更に東の方、膽駒山を越えて  中洲に入らんとす。(中略)  孔舎衛坂にして、共に会い戦う。流矢有りて、五瀬命の肱脛に中れり。 と具体的に戦闘状況を記している。これは先住者の雄、…

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富雄丸山古墳の主は誰か

奈良市丸山にある円墳から、盾形銅鏡と大型の蛇行剣が出土した。古墳は「四世紀後半」と推定されているらしいので、時期的には崇神朝が終わり、応神朝が芽生え始める頃、つまりは、あの有名な神功皇后が「活躍」した時代に造られたものだということ。 彼女が応神となる男子を生んだ時に、一番近しい存在だったのは、伝説上の巨人とも言える竹内宿禰なのだが、古…

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外国で迷子になる夢

東南アジアを思わせる未舗装の細い道が続き、「私」は自転車の後ろ籠に見知らぬ子供を乗せながら進んでいる。どうやら何かの慶事に出かける家族の一人を乗せているのだが、道路はぬかるみ、そのうえ大きく陥没した個所もあり危険だ。そのうち、急な坂道が数十メートル近く下っているので「私」は、後ろの荷台から子供を降し、自転車を抱えて降りようとしたが、いつ…

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