渦巻は飴売りの看板

喜多川守貞という人が十九世紀中ごろに編纂した『守貞謾稿』という書物によれば、当時の江戸には多くの飴売りが競い合うように居たらしいが、その中でも人気のあった飴屋の一つが「下り飴売り」。 もともと京都・大坂で先行して売り出された「上方」の上質な飴を、東都江戸でも味わう事が出来ますよ、というのが「売り」で、上図のような屋台を担ぎ「えー、下り…

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江戸の№ワン・スイーツは

子供たちに絶大な人気があったお八つは「飴ん棒」だった。他に選択の余地がなかったこともあるのかも知れないが、江戸の辻々には、様々な形態の「飴売り」が出没していたようで、上の画像に描かれた「唐人飴売り」は、特に評判が高かったのだとか。 「唐人」とは言っているものの、これは「外国」つまり「舶来品」なのだと見栄を張っていたのかも分からないが、…

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